霊について

時間と空間はアプリオリに認識される、とwikipediaアプリオリの項目にあった。


僕は違うと思う。


肌感覚のない生命があったとして、それは例えば霊魂のようなものであり、
外界と触れ合う感覚がないゆえに、空間の認識ができないと思う。


また、時間については、赤ん坊が時間経過の認識に基づいた行動や目的の作成・取得をしていると思えないので、これも違うと思う。


で、霊魂のような存在があったとして、神経もないわけだから、思考がかなりまとまらないだろう。
そうすると、整理されない意識化の「色」や「におい」、「音や音楽を聞いた時の感覚」のような曖昧な感覚の集合自体が霊魂と呼ばれるものになる。


そこで、なぜ「恨み」「思い残し」のようなタイプに限って、霊魂なる形而上の存在が物質世界に縛り付けられるルールになっている(誰が決めたんだ)のかわからないが、そうだとして、
その「恨み」の「色」「匂い」「音や音楽を聞いた時の感覚」が現世の人間の脳に作用して初めて、
「幽霊」なる像を脳内に発生させるのである。


つまり、幽霊は存在ではなく、現象なのだ。


霊障というものも、風邪ウィルスのようなもので、意識で侵入を感知・防御できないものが、
いつのまにか脳や首から下の神経叢の具合が狂い、体調不良という形であらわれるのである。


この仮説においては、霊障は非生物に作用しないことになる。
ただし、森羅万象の全て、この流れ遷ろうこの世の自動的な物理運動全てが霊障である、というのであれば、そこには、もはやオカルト/科学の区別はなく、ものの考え方・捉え方の話である。


上記言説に基づくならば、温暖化も水が氷になるのも、全て霊障、というわけである。
これは物理法則や運動といった言葉の、単なる言い換えにすぎない。


で、突き詰めたいのは、除霊についてだ。


幽霊が脳内の現象であるならば、除霊=精神疾患治療になる。
また、幽霊=神経作用ガスであり、その定義においては、除霊=解毒作業になる。


ということは、体と心が元気なように生活する、つまり、運動や新規能力獲得、学習、瞑想などは、幽霊を見ない、幽霊に影響されない方法になる。


また、人間が肉塊になるような悲惨な戦争や、悪質残虐な殺人事件の概略テキスト・写真と、
霊障についてのケーススタディ用テキスト・心霊写真を実際に紙に出力して、
目の前に並べて、どちらに強い嫌悪感・恐怖を覚えるか自分で試してみるのも一興である。


また、悪魔の証明よろしく、心霊現象の存在を完全に否定することはできない。
もしかしたら50世紀後の未来では、科学的に説明可能になっており、また、再現もでき、
かつ、工学的に応用されているかも知れない。その研究過程の副産物として、既存の未解決・未発見な科学的知見・技術に加えられるヒントが得られるかも知れない。


なので、幽霊が怖い、と思った時、その思った瞬間のその感情・感覚・イメージこそが幽霊なのであり、怖いのはその瞬間の思考様式こそなのである。


花が美しいと思った瞬間、花の美しさが自分の中に作られる。
その時、美しさは花自体に存在するのではなく、観測者に付帯、内在するものである。


なので、幽霊が怖い、と思ったら、その思いをまるごと肯定し、幽霊と仲良くなることが、
幽霊が怖くなくなる方法の一つかも知れない。


最後に塩田剛三の言葉を引用し、キーボードから指を離すこととする。

ある時、弟子に「合気道で一番強い技はなんですか?」と聞かれ、塩田は「それは自分を殺しに来た相手と友達になることさ」と答えたという。

※ なお、このテキストは徹夜ハイテンションMAXで書かれており、チラ裏レベルの書き散らかしであることに注意されたし。寝て起きたら、黒歴史になる前に削除するかも知れない。